四回転の必要性とスケートにおける芸術の価値 今回は少し真面目にコラムなるものを書いてみようと思う。 まさに今、男子フィギュアスケートにおいて問題視されている『四回転』について…… 2008年の世界選手権、「四回転」を持たない王者が誕生した。 この四回転時代に彼は、フィギュアスケートの持つ『芸術性』で人々を魅了したからだ。 ジェフリー・バトル 今シーズンを知る誰もが彼が金メダリストになるとは予想していなかった。 何も知らないメディアはよもや彼がノーミスだから優勝したかのような記事を書きたて、 さらには彼を「卑怯者」扱いしたマスコミすらいたのは事実のことである。 ただ、本当に彼は簡単に優勝したと言うのだろうか? 彼が血の滲む努力をした上での結果であったことを無視して。 ジェフリー・バトルのスケートは彼にしかできない世界観がある。 それはただ豊かな表現力によるものではなく、類まれなる『技』があるからこそ、 そして誰にも真似できない『強い気持ち』があるからこそ、だ。 技術で言うと、ジュベールには逆立ちしても到底できない「スピン」や「ステップ」があるし、 彼の音楽を全身で捉えて時には躍動的に時には優雅にすら演じられる表現力は「神がかり的」でもある。 あの細い体で誰にもできない「隙間ないプログラム」をいとも簡単に演じているのだから。 もちろん、私は「四回転」の必要性について否定しているのではない。 クワドの価値をもっと高くするべきだし、もっと怖気ずにみんなに挑戦してもらいたい。 大好きなロシアの選手が小さい頃から四回転の練習をするのには脱帽もしかねないくらいに。 ただ、簡単に見た目で分かるジャンプで判断するスケートではなく、 競技には珍しい『芸術』を重要視するスポーツであるからこそ、 音楽の捉え方や表現力を同じ天秤にかけるスケートであってほしいのである。